30代ってもっと大人だと思ってた

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東京オリンピックは平和の祭典と呼べるのか。スポーツ競技会だったのかもしれない

今日でようやく終わったオリンピック。

ぼくはオリンピックに反対していましたが、強硬に反対していたわけではなく、ちゃんとマネージメントできるのであれば消極的賛成に回るスタンスでした。

実際に試合もたくさん見ました。感動もしました。ですが、やっぱり多くの疑問が残りました。

記事を書いているのは…

元劇団四季、テーマパークダンサー。アメリカの大学に留学経験あり。
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※3分ほどで読み終わる記事です。

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スポ根体質を変えるための五輪

以前オリンピックの記事を書いたときに東京オリンピックの理念を紹介しました。ですが新たなことがわかりました。それは、復興五輪の前にあった東京オリンピックの理念の存在です。

東京オリンピックの理念

そもそも:スポーツ庁創設を目指す
2010年1月:復興五輪
2020年3月:新型コロナウイルスに打ち勝った証
2020年7月:オリンピック・パラリンピックで世界をひとつに

今回調べてみてはじめてわかりました…。スポ根体質を変えるために東京五輪の招致がおこなわれたようです。結果としてスポーツ庁が誕生しました。

日本のスポーツ界はいまもスポ根体質で、科学的なトレーニングを行う国と比べて遅れているとされています。この体質をどうにか変えたいという力が働いたようです。

創設者クーベルタンの考え

そもそものオリンピックの意味について考えます。創設者であるクーベルタンの考えを紹介します。

「オリンピックで重要なことは、勝つことではなく参加することである」

この言葉を聞いたことはないでしょうか?

国同士のメダル獲得争いに危惧したクーベルタンが発した言葉です。

そして、オリンピック憲章では「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」と明記されています。つまり、個人間での戦いに関しては、否定しているわけではありません。

実は先ほどのクーベルタンの言葉には続きがあります。「人生で重要なことは、勝利することではなく闘うことである。その本質は打ち克つことではなく、よく闘ったことにある」

では、この理念は今回の東京オリンピックでは実現されていたのか。

日本のメディアの問題点

クーベルタンの理念を実現するようなテレビ中継がされていたのか、はなはだ疑問です。

地上波では競技会場とスタジオの中継、選手のストーリーを適宜はさんでいました。感動の押し売りと、日本人にしかフォーカスを当てない実況で相手選手のことがあまりわからない。淡々と中継を流すBSとあまりに差がありました。

あえて涙をさそうような選手紹介をすることもありました。スポーツで感動する、というのは正直そういうことじゃないと僕は思います。本気と本気のぶつかりあいで生じるスリリングな展開。その場で起こっている戦いで僕は感動しています。

ちなみに、日本テレビの中継方法にも批判が集まっていました。競技の合間にCMを入れすぎていたり、日本人以外の選手の出番中CMを入れてしまったり、日本人選手の出番が終わったら他の競技に切り替えてしまう、ということが起こりました。

競技を大切にしているとは思えない中継でした。

オリンピックではなく競技に熱狂しただけ

たしかにオリンピックの試合はおもしろいものが多かったです。ですが、オリンピックそのものに感動したのではなく、スポーツに感動したんだと思います。

むしろオリンピックを思い出すと、観ていることに罪悪感を感じてしまうほどでした。

無観客のウソ

今日開催された札幌での男子マラソンには観客がたくさん集まっていました。閉会式にも多くの人が集まりました。ニュースを見た第一印象は「あーあ」でした。

ただ、僕が気になったのは「行った人たち」への批判です。「もしコロナにかかったら病院使わないでください」といったすごく厳しい言葉がSNSで飛び交っています。

ですが冷静に考えると「本当に行った人たちが悪いのか…」と思います。

オリンピックでは無観客という決定を組織委員会がしました。そのために警察を含め多くのスタッフが配置されていました。ですが観客が集まっていました。では、その人達はいったい何をしていたのか。その人たちはなぜ仕事をしないのか…。

静止されなかったために多くの観客が集まりました。集まった人に批判が集まり、運営に対しての批判はなぜか少ない。こうしてまた国民同士がバトルしてしまう状況になっています。

ただし、この行動には伏線があったと思っています。

テレビ中継でずっと気になっていたことがあります。それは競技会場に多くの人が入っていたという点です。競技会場には大会関係者がいて、競技を観ています。ですが、競技によってはあまりに多すぎないか、と思うことがありました。

中にはスタッフのTシャツを着た人たちも普通に観ていました。

この状況で、国民に我慢しろというのは筋が通っていないと思います。

平和なオリンピックではなかった

オリンピックは平和の祭典と呼ばれます。ですが、東京オリンピックは、平和だったのか…。

オリンピック選手たちは、あまりに特別扱いでした。アスリートたちはそれを当然と感じ、発言から非社会性を感じることも多く、特に日本人はそもそも発言しない選手が大半でした。コロナ禍におけるオリンピックに参加している、ということを表現する選手の少なさにビックリしています。

そんな中、閉会式が無事開催されました。この光景を見るのがとてもツラかったです。

また、原爆の日も無視されました。日本から平和を発信できるチャンスをみすみすスルーしていくオリンピック。普段、原爆の日はNHKだけが中継し、黙祷を捧げます。それを全チャンネルでおこなうチャンスだったのに…、と残念でなりません。

今回東京オリンピックに関わった日本人はあまりに多すぎます。仕事だからしょうがない、で本当に済まされるのか。自分が断っても誰かやる、という問題なのか。生きるためには仕方ない、と言えるのか。

オリンピックを中止していたらできていたんじゃないか、と思えるものがあまりにも多すぎます。特別なオリンピックの横で、苦しんでいる人がたくさんいます。

税金が湯水の如く使用され、当然の権利かのように受け取る会社、疑問を持ちながらも給料を受け取る人々。悪いことをした人が合法的に罪から免れてしまう。倫理観が破綻してしまっています。

twitterでは「#オリンピック開催して良かった」がトレンド入りしていました。僕はめちゃめちゃ悲しく思っています。