アメリカ留学で助けてもらったアドバイザーが、しょっちゅう“いない”理由

勝手に休んじゃう大学のアドバイザー(アメリカ留学)

アメリカの大学のダンス学部に留学していた頃の話です。ダンス中心の生活のなかでも、アカデミックの授業がありました。

とくに大変だったのが英語(日本で言う国語)の授業です。

毎週の課題は、英語の本を読み、7枚ほどのレポートを書くという、なかなかハードなもの。土日はいつも図書館に8〜10時間こもり、ようやく終わるという日々でした。

一発「F」

提出したレポートの評価が恐ろしいほど厳しい。書式が合っていないと評価点が「F」。そもそも読んでもらえません。

内容がどれだけ良くても、段落のインデントや引用の形式が違うだけでアウト。書式の整い方そのものが「学術的に文章を扱えるかどうか」を測る基準らしく、形式を守れない=内容以前の問題、という考え方です。

最初は衝撃でした。

「書式ミスで“F”?本当に?」

と思いましたが、担当の先生もはっきり言います。

“It’s not about ideas.
It’s about academic writing.”

つまり “どれだけ良いことを書いてても、学問のルールを守れなければ評価しない” ということ。

僕にとっては内容よりも、どこを太字にするか、引用は何行空けるか、改行はどうするか……。そういった“書式そのもの”を覚える方が、よっぽど大変でした。

「これは一人では無理だ……」と悟った僕は、大学に助けを求めました。

すると、アドバイザーと、会話練習をしてくれるカンバセーション・パートナーをつけてもらえることになりました。

アドバイザーとは?

アメリカの大学には、レポートや論文の書き方をサポートしてくれる“アドバイザー”というスタッフがいます。僕のような留学生だけでなく、アメリカ人の学生も利用する、いわば学内の駆け込み寺のような存在です。

自分では気づけないミスを見つけてくれて、学術的な文章の書き方を一つずつ教えてくれます。

担当になってくれたアドバイザーさんは、いつも親切で、予約を取って会いに行くと、じっくり文章を見てくれました。おかげで、英語の授業では想像以上に良い成績が取れて、本当に助けられていました。

ただ……

時々、「おやっ?」と思うことがありました。

Where are you?

約束して行ったのに、なぜかいない。

ドアをノックしても、返事なし。事務の人に聞くと、「ああ、今日は来てないわよ〜」と、驚くほどサラッと言われる。

えっ、来てない?
予約したんですけど?

階段なしの3階オフィス

アドバイザーさんのオフィスは、キャンパスの外れにある古い建物の3階。

しかも エレベーターなし。

当然、みんな階段を使うしかありません。

留学していたピッツバーグという場所に来て驚いたのは、人々の“サイズの自由度”がとても広いことでした。特大のピザを片手に歩きながら食べている人を見た時は、「あ、これが文化差か」と思ったほどです。

そして僕の担当アドバイザーさんも、かなり大柄な方でした。階段の上り下りが本当にきつかったようで、時々冗談交じりに

「今日はこの階段に負けそう」

と笑っていました。

そして時々、予告なく休む。その理由は……

「今日は階段がしんどいの。」

最初は「えっ?」となりましたが、アメリカで生活していると慣れてきます。

・体調がきつい日は無理をしない
・行かないと決めたら、行かない

そういう“自分のペースで働く”スタイルが、半ば当然のように成立しているのです。

今では思います。あれはあれで、すごくアメリカらしい働き方だったんだな、と。

自由な働き方と、助けられた日々

アドバイザーさんがいない日は正直大変でしたが、それでも彼女のサポートには本当に助けられました。あの時、レポートを見てくれる人がいなかったら、僕は確実に授業についていけなかったと思います。

日本で当たり前の“きっちり感”とは違うけれど、そのゆるさに救われた面もたくさんありました。

僕もいつの間にか、怒る気持ちより
「そっか、階段きついよね」
くらいの心で受け止められるようになっていました。

アメリカの大学で出会った、のびのび働くアドバイザーさん。

彼女のおかげでレポート地獄を乗り越えられたし、“仕事との距離感”を考えるきっかけにもなりました。

今でもふと思い出します。

あの3階までの階段と、突然いなくなるけど、頼りになる彼女のことを。

金持ちってわからない…|留学中に感じた金銭感覚

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最近、昔のことをすぐ忘れるようになってきた気がします。ちゃんと記録しておかないと……。
メインのブログとは別に、このはてなブログでは “忘れたくない記憶” を書いていこうと思っています。

金持ちの息子の暴挙

留学中はいろいろな人と知り合いました。

たまたまですが、とんでもないお金持ちと仲良くなり、パーティーに呼ばれたり、朝食会に誘ってもらったりしていました。

ある日、少人数の朝食会に招かれ、僕はウキウキで参加しました。ホテルのオーダー式ビュッフェで、まさかの 朝食で50ドル越え

「うそでしょ……」と思いつつ、奢ってもらえるので良い経験だと思い楽しむことに。

そこにいたのが、お金持ちの息子さん。

“小さい頃から50ドルの朝食ってすごいな……” と驚きつつも、価値観は人それぞれ。でも本当にびっくりしたのはここからでした。

その息子さん、50ドルの朝食で頼んだのはヨーグルトのみ。

えっ……。

さすがに、その場にいた人たちとも「それはないよね」という話に。

留学はギリギリの予算で行き、節約が当たり前だった僕にとって、“お金の感覚って、人によって本当に違うんだな”と強烈に感じた瞬間でした。

ゾッとした夜道 in ニューヨーク

ゾッとした夜道 in ニューヨーク

かつて「危険な街」と言われていたニューヨーク。今でもアジア系へのヘイトクライムなどがニュースになることはあっても、治安はかなり改善しています。

観光地や中心街は夜でも人が多く、昔のような危険な雰囲気はほとんどありません。

僕が留学していた頃も、想像以上に安全で、深夜でもわりと自由に出歩いていました。

……とはいえ、ちょっとゾッとする夜もありました。

夜中の帰り道

ニューヨークの地下鉄は24時間運行。夜中になると30分に1本くらいに減りますが、終電を気にせず出かけられるのは本当に便利です。僕はいつも夜遅くまで舞台を観たり、ダンスレッスンに行ったりしていたので、家に着くのはだいたい深夜1時過ぎでした。

当時の住まいは駅から徒歩1分。だから普段は怖いと感じることもなく、安心して帰っていました。

誰かついてくる……

その夜も、いつも通りの帰り道。人通りのない静かな住宅街を歩いていたとき、ふと“気配”を感じました。

……誰か、いる。

横目でチラッと見ると、後ろに2人組の男が。

しかも明らかに僕の歩調に合わせている。

『やめてくれよ!!!!』と心の中で叫びつつ、早歩き。
すると向こうも速くなる。猛ダッシュしたい気分。

家まであと少し。

ゲートをスッと抜け、玄関の鍵をガチャガチャ――。

その瞬間。

「Hey!!!」

『あああああああああ。』

男が僕に話しかけてきました。

振り向くと、ガタイのいいヒスパニック系の兄ちゃんが2人。

腹をくくって返事をします。

「Hey, everything okay?」

すると……

意外すぎる真相

「俺の友達が君のこと気になるみたいなんだ。お茶でもどう?」

『は?????』

どうやらナンパされていたらしい。

「ビビらせんなよ!!!」と笑いながら言うと、
「ごめんごめん、でもすごく気になったんだ」とモジモジする兄ちゃん。

――いや、帰れ!!!

彼らが去るのを見届けて、ようやく家の中へ。

ほんの1分くらいの出来事なのに、心臓バクバクでした。

ニューヨークは油断禁物

男でも、夜道はやっぱり怖い。

ニューヨークは昔より安全ですが、日本とは別世界です。

「気を抜いちゃダメだな」と反省した夜でした。

そして改めて思いました――

夜中に自由に歩ける日本。ほんとにすごい国だ。

なぜか僕の表情のことでケンカをはじめる通りすがりのニューヨーカーたち

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留学中の話です。

外に出かけても誰とも話さずに家へ帰る。日本ではよくあることです。

でも、ニューヨークではそうもいきません。外に出れば、他人であっても必ず誰かと会話が生まれます。僕はだいたい、一日5人くらいの知らない人と話していたような気がします。

信号待ちで急に声をかけられる

ある日。いつものようにウォークマンで音楽を聴きながら、ぼんやり信号待ちをしていました。すると隣の人たちがこちらを見て、なにやら話しかけてきます。

そんなことは日常茶飯事でしたが、この日はちょっと様子が違いました。横を見ると、ドラッグクイーンのお姉さんが2人。

『なにかな?』とイヤホンを外すと——

「そんなつまんなそうな顔して歩いてちゃダメよ!」

……え?急にダメ出し!?
完全に面食らいました。

『そんなことないけどな……』と思いつつ、軽く心にダメージをくらいつつ、「OK」とだけ返してスルー。

ところが隣にいたスーツ姿のお姉さんが、すかさず口をはさみます。
「そんなことないわよ。安心しなさい。」

……すると今度はドラッグクイーンが反論。
「いいえ、彼には笑顔が必要よ!」

あっという間に議論がヒートアップ。僕を挟んでお姉さん同士が言い合いを始めてしまいました。(笑)

やっと信号が変わる

『なんなんだ、この状況は!!!』

僕はただただ心の中で「早く信号、変わってくれ!!」と祈っていました。たぶん30秒もなかったはずなのに、永遠に感じました。

そしてやっと青信号。

「バーイ!」

ドラッグクイーンたちは笑顔で手を振り、スーツのお姉さんは曲がっていきました。まるで何事もなかったかのように、カラッと去っていきました。

残された僕は、ただただ呆然。

『……なんだったんだ、今のは。』

でもその日以来、できるだけ“つまらなそうな顔”にならないよう気をつけていました。

ニューヨークは本当に、不思議でおもしろい街です。